ロバート・フリッツと構造思考②

ロバート・フリッツの動画「構造思考の基礎」の翻訳です。構造思考を始めるための、はじめのステップを簡単に解説しています。


構造的思考の、はじめの2、3のステップについて話して、その内容をお見せしよう。みなさん学校へ通って、いろいろと学習したと思う。実のところ、みなが持っている仮説というのは、教育、そして知識の獲得とは良いものだということだね? 何かを知っているというのは、良いことだ。では、私たちは学校へ行って、何を身に付けているだろう。学校は、何を教えてくれる?

データベースなんだ。情報、モデル、理論、そして経験、様々な世界観、コンセプトや知識、などなど。たくさんのものがある。そして、このたくさんのものを、私たちはどうするだろう? 手に入れて、実際どうすればよいのだろう? 現実とデータベースを比較するんだ。

しかし、これは実は「思考」ではなく「カテゴリー分け」だ。大学へ行けば、時に「君たちに考え方を教えてやろう」と言われるかもしれない。しかし、彼らが教えるのは考え方ではない。彼らがやることは、データベースのいくつかを変えることなんだ

実は思考のプロセスも同じことが言える。今私が話している内容だって、あなたたちの中には「ああなるほど、~みたいだな!」と、他のものと比較しようとする人がいる。頭の中ですでに自動的に関連づけがなされていて、志向性(Orientation)を創ろうとしている。

私が今教えていることのひとつ、このスキルは、この相対思考の使い方とは逆のものだ。知識の獲得、さまざまな経験、あなたたちは何かを見たときに、これらを使って理解しようとする。

そこで、構造思考のステップ1はこれだ:何もないところ(Nothing)から始めよう。

もちろん、言語を話す能力や情報処理能力もないところから始めるという意味ではない。ナレッジベースのないところから始めるという意味だ。前提はなしだ。仮説もなしだ。クリエイティブなサイエンティストが実際に行っているのは、決して仮説を使わないということだ。いくつかすばらしい言葉を紹介する。私が高校生の時に聞けていればよかったのに! と思うものだ。

1つは、アイザック・ニュートン卿の言葉。彼は伝統物理学を創っただけではない。アインシュタインの時代まで、ニュートンという人物は物理学の祖父だった。一方で彼は、例えば、微積分を発見していて、おかげで私たちはものごとを理解できる。

ニュートンは言った。

「科学に仮説の居場所は存在しない(”Hypotheses non fingo”(われ仮説を立てず))」

彼が座っていたら、リンゴが落ちたって話があるね。本で読んだことがあるんだが、リンゴが落ちてきてニュートンの頭に当たったというのは、たとえ話として使っただけらしい。ただ、座っているとリンゴが頭に落ちてきた。そのときに彼は「あれ、どうしてだろう?」と、言った。何もないところから始めたからだ。科学に仮説は必要ないと知っていたからだ。

彼は「仮説」から始めなかった。彼は問いから始めたんだ。「今起きたことは、なぜ起きたのか?」

デカルトはこう言っている。「何かの原則や一連の原理を本当に理解するには、すべての前提からあなたの心を切り離しなさい」。

ところで、企業にはこれを実行している部門がある。誰だろう? 経理部門だ。彼らは実際の数字を見なければならない。「その報告書なら去年見たし、これなんとなく似ている気がするから、去年の数字を入れておいて、そうだなあ20%くらい足しておく? それで大丈夫だよね!」なんてことは言えないんだ。会計でそんなことをやれば、牢屋に入れられてしまうだろう。だから、会計担当は会計原則、数学、他の習慣や原理を知っていて、他の何かと比べるわけでなく、実際にありのままの数字を見ないといけないんだ。

私たちも同じことをしなければならない。比較・相対思考に立ち向かわなければならない。これから演習をしてもらう。その中で、もし「あの本みたいだ」「あれに似ている」「あの理論だ」とか心に浮かんだら、何か比較対象、似たものを探していることになる。みんなにやってもらうことは、具体的に目の前にあるものにフォーカスして、次に何がくるか予測するのをやめることだ。だから、これがステップ1、何もないところ(Nothing)から始めること。

ステップ2:話されていることを絵にすること